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沖縄の世界遺産探訪

沖縄の世界遺産群

Okinawan X3

Okinawan Wonderful.

by WEVEX 愛T SOLUTION.

Contents of all by Hiromitsu Haga.
 

シチナヌウドゥン:識名御殿

沖縄世界遺産群 国指定特別名勝「識名園」

識名園概要

 識名園(俗にシチナヌウドゥンと呼ぶ)は琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣 の接待などに利用されました。18世紀の終わりごろにつくられて、1800年に尚温王冊封(サツポウ:参照 Wikipedia)のために中国から訪れた正使趙文楷(チョウブンカイ)、副使李鼎元(リテイゲン)を招いています 。  王家の別邸は、17世紀の後半、首里崎山村(現在首里崎山町)に御茶屋御殿(ウチャヤウドゥン)が造 られました。御茶屋御殿は首里城の東にあったので「東苑(トウエン)」と呼ばれ、識名園は首里城の 南にあったので「南苑(ナンエン)」と呼ばれました。




[造園形式]

「回遊式庭園」

 識名園の造園形式は、近世に日本の諸大名が庭園の造園に参考にした「回遊式庭園」になって います。池の浮島に六角堂、大小のアーチ石橋を配して池の周囲や石畳、石垣には琉球石灰岩を 用いて琉球独特の風情を魅せています。
 かっての識名園は春は池の東側に梅林が花を咲 かせて梅の香を漂わせて、夏には中島や泉の周囲に藤の花、秋には池のほとりに桔梗が美しく咲 き誇り「常夏」の沖縄にあっても四季の移ろいが感じられ、季節感さえ味わえる巧みな造園の構 成で美を際立たせた造園設計になっていました。






[国指定特別名勝]


 1941年(昭和16年)に国指定特別名勝地に指定されました。指 定面積は約41,997u(約12,726坪)。建物面積は合計643u(195坪)です。過去の大戦で壊滅的な 破壊を受けましたが1975年から20年間の歳月をかけて復元され、2000年(平成12年)に国の特別 名勝に指定され同年にユネスコの沖縄世界遺産群に登録されました。




【正門】

【正門】

 この門は国王一家や冊封使などが出入りしました。屋門(ヤージョウ)と呼ぶ屋根のある門です。ヤージョウは格式のある家の屋敷門とされ、識名園のヤージョウも王府時代のしきたりと格式を踏襲した威厳のある正門です。



【六角堂】

<span> 浮島にある六角形の東屋(あづまや)です。屋根の形や瓦を黒く<br>色付けしているところが中国的な趣を感じさせます。<br> 島へ渡るアーチ橋は琉球石灰岩の一つ石を削りだしたものです。</span>

 浮島にある六角形の東屋(あづまや)です。屋根の形や瓦を黒く色付けしているところが中国的な趣を感じさせます。島へ渡るアーチ橋は琉球石灰岩の一つ石を削りだしたものです。






■国指定特別名勝 識名園



【育徳泉(イクトクセン)】

<span>【育徳泉(イクトクセン)】</span>

 育徳泉は池の水源のひとつです。琉球石灰岩を沖縄独特の「あいかた積み」にして曲線で水面に優しい美しさを表現しています。井戸の上には泉を称えた碑があります。




【滝口】

<span>【滝口】</span>

 あふれた池の水を石の懸け樋から滝のように落としています。勢いよく落ちる水の音が涼感を誘います。かっては滝口のそばに八角堂の東屋があり夏の厳しい暑さを凌ぐ絶好の場所でした。

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    • 首里城は尚巴志(しょうはし)によって三山が統一された1429年から1879年まで、歴代国王の居城でした。  詳しい築城時期については不明ですが、12世紀に舜天王(しゅんてんおう)が規模を拡大、15世紀に尚巴志が内郭を、その後外郭を整備したと伝えられています。
    •  敷地面積は62,000平方メートル。歓会門(かんかいもん)・瑞泉門(ずいせんもん)・漏刻門(ろうこくもん)・広福門(こうふくもん)・奉神門(ほうしんもん)も首里城公園内に含まれます。

    •  園比屋武御嶽は、守礼門と首里城歓会門の間にあり、国王が外出する際に道中の無事を祈った場所です。
    •  石門には琉球石灰岩が用いられており、1519年、八重山の西塘(にしとう)が建築しました。

    •  斎場御嶽は、琉球王国最高の聖域で、アマミキヨという神がつくった、国はじめの七御嶽の1つと伝えられています。

    •  中城城は、首里王府の命令を受けた護佐丸が、勝連城主・阿麻和利を牽制するため移り住んだ城です。
    •  城壁は地形を生かした作りになっており、その築城技術は歴史的に高い評価を受けています。
    •  中城湾を臨む標高167mの高台に立地し、指定面積は110,473平方メートルです。
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    •  勝連城は小高い丘の上にあり、周囲は断崖になっており、外的からの攻撃にも強い城でした。
    •  勝連城は11世紀から12世紀頃に築城されました。5つの階段状の郭から成り、指定面積は約11,860平方メートルとなっています。
    •  城主は琉球王国に対する最も有力な按司だった阿麻和利(あまわり)の居城でした。阿麻和利は王権の奪回を図り首里城を攻めますが、大敗して滅びました。

    •  座喜味城は15世紀の始め頃、護佐丸によって築城されました。
    •  独特の曲線を描いて積まれた城壁は、「あいかた積み」と呼ばれる技法です。また、アーチ型の石門は沖縄で最も古いものと言われています。
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    •  今帰仁城は14世紀から16世紀頃に築城されたと言われていますが、誰の手によるものかは不明です。標高約100mの場所に位置する山城で、その周りは断崖になっており、難攻不落の城でした。
    •  今帰仁城は三山時代の北山王の居城でしたが、1416年に尚巴志に侵攻されます。その後は首里王府の北山監守の居城となります。  指定面積は788,685平方メートルにおよび、9つの城郭から成ります。

    •  識名園は、池の周りを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした回遊式庭園で、外国使臣の歓待や国王一家の保養のため、1799年に建てられました。
    •  沖縄戦で壊滅的な破壊を受けましたが、1975年から20年の歳月をかけて現在の姿になりました。
    •  識名園の指定面積は41,997平方メートルです。

    •  玉陵は尚真王(しょうしんおう)が父・尚円王(しょうえんおう)の遺骨を改葬するため、1501年に作られました。玉陵は作りを首里城正殿に似せており、墓室前には獣や花などを掘った石欄が取り付けられています。
    •  玉陵の面積は2,242平方メートルです。
    • 玉陵画像 :高解像度での画像(5,732 × 1,000 ピクセル, ファイルサイズ: 5.78 メガバイト, MIMEタイプ: image/jpeg)
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Biulder H.Haga.
沖縄の世界遺産群
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