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- 首里城は尚巴志(しょうはし)によって三山が統一された1429年から1879年まで、歴代国王の居城でした。
詳しい築城時期については不明ですが、12世紀に舜天王(しゅんてんおう)が規模を拡大、15世紀に尚巴志が内郭を、その後外郭を整備したと伝えられています。
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敷地面積は62,000平方メートル。歓会門(かんかいもん)・瑞泉門(ずいせんもん)・漏刻門(ろうこくもん)・広福門(こうふくもん)・奉神門(ほうしんもん)も首里城公園内に含まれます。
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園比屋武御嶽は、守礼門と首里城歓会門の間にあり、国王が外出する際に道中の無事を祈った場所です。
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石門には琉球石灰岩が用いられており、1519年、八重山の西塘(にしとう)が建築しました。
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斎場御嶽は、琉球王国最高の聖域で、アマミキヨという神がつくった、国はじめの七御嶽の1つと伝えられています。
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中城城は、首里王府の命令を受けた護佐丸が、勝連城主・阿麻和利を牽制するため移り住んだ城です。
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城壁は地形を生かした作りになっており、その築城技術は歴史的に高い評価を受けています。
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中城湾を臨む標高167mの高台に立地し、指定面積は110,473平方メートルです。
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勝連城は小高い丘の上にあり、周囲は断崖になっており、外的からの攻撃にも強い城でした。
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勝連城は11世紀から12世紀頃に築城されました。5つの階段状の郭から成り、指定面積は約11,860平方メートルとなっています。
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城主は琉球王国に対する最も有力な按司だった阿麻和利(あまわり)の居城でした。阿麻和利は王権の奪回を図り首里城を攻めますが、大敗して滅びました。
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座喜味城は15世紀の始め頃、護佐丸によって築城されました。
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独特の曲線を描いて積まれた城壁は、「あいかた積み」と呼ばれる技法です。また、アーチ型の石門は沖縄で最も古いものと言われています。
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今帰仁城は14世紀から16世紀頃に築城されたと言われていますが、誰の手によるものかは不明です。標高約100mの場所に位置する山城で、その周りは断崖になっており、難攻不落の城でした。
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今帰仁城は三山時代の北山王の居城でしたが、1416年に尚巴志に侵攻されます。その後は首里王府の北山監守の居城となります。
指定面積は788,685平方メートルにおよび、9つの城郭から成ります。
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識名園は、池の周りを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした回遊式庭園で、外国使臣の歓待や国王一家の保養のため、1799年に建てられました。
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沖縄戦で壊滅的な破壊を受けましたが、1975年から20年の歳月をかけて現在の姿になりました。
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識名園の指定面積は41,997平方メートルです。
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玉陵は尚真王(しょうしんおう)が父・尚円王(しょうえんおう)の遺骨を改葬するため、1501年に作られました。玉陵は作りを首里城正殿に似せており、墓室前には獣や花などを掘った石欄が取り付けられています。
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玉陵の面積は2,242平方メートルです。
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| Biulder H.Haga. |
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